要領

要領のよさ、それもまた才能だから、その才能を枯渇させず、ただ育てていける人間は、ずっと要領よくいくんだろうなあ。

う、羨ましくなんてないんだからねっ。

http://d.hatena.ne.jp/imait/20090207/1234007720

羨ましくないといっていたけど、それは嘘だ。やっぱり要領のいいというのは、いいなあと思う。要領とは才能だといったのは、まぎれもない本心です。

たまさか、母と要領について話すことになったので、こっちにその内容を書いておこう。小学生のころからの友人は絵を描いていて、しかし彼は絵だけでは生活できない。だから絵を教える仕事なんかもしていて、母の通っている絵画の会の先生もやっているのでした(これは偶然ではなく、私が口利きしたからなんだけど)。

その彼は要領のあまりよくないタイプで、しかし彼は私を要領のいい人間だと思っているらしい、そう母に聞きました。えーっ、そりゃないよ。これが母と私の感想です。もし私が要領よかったら、もうちょっと手広く仕事してるから。というか、今、私は仕事をしていません。

友人が絵だけでは生計を立てられないように、私は私の本業では生計を立てられず、だから働きに出ているのです。その私の本業とはなにかというと音楽なのですが、これはもう営業力が大切です。とにかく知ってもらわないと話にならない。演奏するにせよ、教師になるにせよ、そういう人があるとアピールできないと仕事が発生しないんですね。私はそのアピールが苦手で、結果仕事がありません。

私以上に技量はあるのに、営業力が弱いため、仕事がない人はいっぱいいます。逆に、営業力の強さで技量に劣る人が成功したりもします。以前友人がいっていたのですが、ある版画家について、あの人は要領がいいから、それで成功した。もっと口の悪い人だと、枕営業だなんていいますね。実際のところは知りません。でも、そうすれば仕事がとれるとわかっていて、それでそれをするという選択をしたということが、その人の能力のひとつだと思うのです。コネを作るのがうまい人。顔が広く、それで成功する人。いろいろありますけど、それは確かに要領がいいのかも知れない。けれど、それを要領がいいといって、嫌悪しているだけでは始まらない。営業力に長けたライバルに対し、営業力のない自分はいったいどういう手を打てるのか。それを考えるべきなのではないか、私はそう思っています。

一番いいのは、黙っていても仕事が舞い込むような、圧倒的な技量を身につけることなんだと思うんだけど、それはきっと茨の道です。そもそも私はそんなに上手くないしね。だから、そうした自分に欠ける部分を別のことで補いたい。じゃあなにで補うかというと、正直よくわからない。その不足を補うためのなにかを見付けること、それは、友人だけでなく、他ならぬ自分にとっての課題であります。